どもり 吃音 吃り ドモリ◇互いを支えあうセルフヘルプ ぼくは子どもの頃から、ずっとどもりで悩み、孤独に生きてきました。それが、大学の時に初めて同じようにどもりに悩んできた人たちと出会い、自分の話を聞いてくれる人が横にいて、そのぬくもりと安らぎを感じる体験をしました。これは何ともいえない喜びでした。一度その感覚を味わってまた一人ぼっちになるのは耐えられないなあと思って、どもる人のセルフヘルプグループ?を立ち上げたのが1965年です。このグループではただ同じ境遇の人が集まり、支えあうだけではなく、自分の殻に閉じこもらないで、社会を意識した活動をしたいと思いました。当時はセルフヘルプという言葉は日本に紹介されていませんでした。患者会や障害者団体はありましたが、治す、改善することを目的としていました。セルフヘプというのは同じ境遇の者同士が支えあって、自分の人生を生きようということですから、治らないとか治せない、つまり簡単には解決しない、というのが前提なんです。◇配慮という暴力 ぼくは、どもりの苦しみを同じように体験した人と出会うことで、ほっとしたり、力がわいてきたりという経験をしてきました。だから、子どもの頃に「ひとりぼっちじゃない」という経験をしてほしいと、15年前に始めたのがどもる子どもたちのための、吃音親子サマーキャンプ?です。毎年8月に開催して、全国から100名を超える参加があります。 そこで15年、どもる子の親に接しいますが、残念ながら大人の受け止め方に大きな変わりはありません。「うちの子はかわいそう、なんとかして治してあげたい」「どもりを意識させずにそっとしておいたほうがよい」という反応です。それは親子を取り囲む社会全体、教師なんかにも強くインプットされていて、子どもの欠点や弱さというものを指摘したらかわいそうだという、配慮が横行しています。ぼくは配慮の暴力というのがあると思います。配慮が人を傷つけるということはいっぱいあると思うのです。治ることを期待してどもりについて話題にしないという、そんな大人の意識を変えるために本をいたり、発言したりしてきていますが、インターネットの時代で簡単に情報発信ができるために、状況は40年前よりさらに悪くなっています。「どもり治療の秘策」みたいな劣悪な情報が増えています。親は治るというメッセージや情報にすがりつきたいわけですから、飛びつきますよ。 治るとはどういうことか。ぼくも実際はっきりわかりません。一般的にいうと、空気を吸うように何の躊躇もなく話せるというのが治るということでしょう。また、そのままで自信を持って生きるというのも治ることだといえる。今、ぼくは何も悩んでないし、どんな不自由もないし、どもりで困ることは100パーセントない。だから、「伊藤さんは、治っているんじゃないか」と言われたらそうだけれども、それを治るといってしまっていいのかどうか。どもりながら「俺は平気だよ」というほうがいい。だから治るという言葉はあえて使わないで、治らないけれども自分らしく生きることはできるんだよというメッセージを投げかけたい。治る、治らないの二元論的な世界から違う見方を提示したのが、セルフヘルプの活動といえるのかもしれません。◇弱さに向き合うこと だから何が何でも治そうということではなくて、どもりという弱さは弱さのままでいいんだときちんと受け止められたら、社会に出てもひとつの力になる。弱さの持っている強さを自覚できたら、弱さのままでも社会に出ていける。弱さはしなやかですから。これまでは「どもってかわいそう」と弱さの中の弱さを押し付けられたりしました。弱い人間が強くなると叩かれるという矛盾もありました。 そうならないために、きちんと自分の問題を見つめることは大切なんです。 例えば「どもって恥ずかしい」と思ったのは、一体なぜか?と自問してみる。それは周りの人から、どもるので、こんなことしなくていいよと配慮されたり、弱い立場を押し付けられたりしてきたということと関係があるのかもしれない。烙印を押されてそこに安住をさせられてきた。弱さを演じてきたこともあるでしょうね。それを明らかにしていくというのはある意味でつらい仕事だけれども、それに向き合うということをしないといけない。一人では難しいからセルフヘルプグループがあるんです。 しんどいけれど一緒に向き合おう。それをしないとただ「そうだね、苦しいね、よくわかるよ」という表面だけの共感に終わってしまう。それだと本当の苦しさは超えられない。◇失敗から学び、悩むことを恐れない 今と違って、ぼくらの時代はがんばれば何かできるんじゃないかという希望がありました。今の子は悩んでいる感じはするけれども、悩み方がすごく下手になっている。悩み方のノウハウを教えるというのはすごく変だけど、「お前の悩み方、変じゃないの」ということを言う大人がいてもいいんじゃないですかね。悩むチャンスを大人が奪っている。それも配慮ということなんでしょうね。失敗したらこの子はだめだと、失敗させないように何とかしないと、という。そうではなくて、むしろ失敗したほうがいい、悩んだほうがいいわけですよ。悩むことのなかに工夫があり、発見があり、気づきがあったりするのに、悩むことを恐れてしまう。これからの自分とか、なぜ生きているのか、そういう問いを発見するのも、若い人がもっと創造的に悩むことじゃないかと思っています。 そのために、弱さに向き合うチャンスや場を、もっと大人が提供していかないといけないですね。向き合うということは苦しいけれども喜びもあり、発見もある。サマーキャンプが成功しているのは、ぼくらがどもりながらでも楽しく過ごしている、その姿を子どもたちに見せているからです。大人がモデルとなるような生き方をし、人生の喜び、楽しさを提示することです。じかにふれあえて向き合う経験をさせる。そういう場を与えることが大人の役割じゃないかと思います。

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